主宰 すずき巴里 代表作
月光にもつとも近き山椒魚 第2回「角川全国俳句大賞」受賞作 俳名の由来(本名・鈴木昌子) 誕生日7月14日・「巴里祭」に因る |
昭和17年 | 中国南昌市に生まれる 山形県米沢市出身 |
昭和53年 | 千葉市花見川さくら保育園設立園長に就任 |
平成 6年 | 俳誌「ろんど」入会・鳥居おさむに師事 |
平成 9年 | 「ろんど」新人賞受賞 |
平成12年 | 第十回「摩訶庵蒼山賞」受賞・烏帽子山桜句碑に刻銘 |
平成14年 | 「ろんど」結社賞受賞 |
平成16年 | 鳥居おさむ主宰逝去 |
平成17年 | 二代目田中貞雄主宰に師事 保護司拝命 |
平成17年 〜19年 |
朝日マイタウン「花見川俳壇」選者 米沢東高等学校文芸部講師 同校・第八回俳句甲子園全国大会にて個人優秀賞受賞 |
平成19年 | 第二回「角川全国俳句大賞」受賞 |
平成20年 | 花見川さくら学園三十周年 園長退任・顧問 |
平成24年 | 第一句集『パリ祭』上梓(角川書店刊) |
平成27年 | 「ろんど」編集員を経て第三代主宰に就任 |
令和 4年 | 第二句集『櫂をこそ』上梓(本阿弥書店刊) |
現在 | 社会福祉法人花見川さくら学園理事 |
公益社団法人俳人協会評議員 | |
俳人協会ジュニア俳句教室委員 | |
俳人協会千葉県支部幹事 | |
千葉県俳句作家協会理事 | |
朝日カルチャー千葉俳句講座講師 | |
共立女子大学文芸学部卒業 |
昭和14年 | 神奈川県横須賀市生まれ |
昭和35年 | 神奈川県庁に奉職 職場句会で進藤一考、下田稔(「浜」同人)の指導を受く |
昭和37年 | 角川源義主宰「河」に入会、師事 |
昭和46年 | 「河」同人 |
昭和54年 | 進藤一考主宰「人」創刊に参加 |
昭和55年 | 第二回「人」結社賞受賞 |
昭和61年 | 第一句集「田越川」上梓 |
平成 4年 | 鳥居おさむ主宰「ろんど」創刊に参加 |
平成12年 | 神奈川県庁を定年退職 |
平成12年 | 第二句集「辻子」上梓 |
平成17年1月 | 俳誌ろんど継承、主宰就任 |
大正15年5月19日 | 東京都豊島区に生まれる。 |
昭和21年 | 旧制第一高等学校文科乙類入学。 |
昭和25年 | 東京大学経済学部入学。 在学中、埼玉大学吉田澄水教授宅の青春句会に所属、 「春月や別れの肌のあたたかく」を作句して物議を醸す。 |
昭和28年 | 東京大学卒業、商工中金に就職。職場句会に 所属、石塚友二師の指導を受ける。 |
昭和31年 | 句会で知り合った村瀬美智子と結婚。その頃 の作品「宵の妻落葉の輪舞纏ひ来る」が、本誌誌名のルーツとなる。 |
昭和34年 | 「河」入会。角川源義に師事。 |
昭和47年 | 「河」同人。 |
昭和48年 | 俳人協会員となる。 |
昭和54年 | 「人」創刊に参加、進藤一考に師事、編集担当。 第一回「人」賞受賞。 |
昭和54〜62年 | 俳人協会賞・協会賞新人賞予選委員。 |
昭和63年 | 句集『体内時計』を上梓。 |
平成 4年 | 「ろんど」創刊主宰、句集『草清水』を上梓。 |
平成 6年 | 俳人協会自註俳句シリーズ『鳥居おさむ集』を出版。 |
平成11年 | 句集『なみなみと』上梓。 現在 俳人協会幹事。 |
平成16年 | 句集『風のかたち』上梓 |
平成16年12月18日 | 逝去 享年78歳 |